ナラティヴ分析法

リースマン『ナラティヴ研究法』

■ 本書の概要

本書は、ボストン大学教授のキャサリン・K・リースマンによる「ナラティヴ分析」についての本格的な入門書です。ナラティヴ研究はその対象や方法がきわめて多様であるがゆえに、これまでの研究者は、これらを系統的に分類すること自体にほとんど取り組んできませんでした。リースマンは、構造分析、テーマ分析、会話/パフォーマンス分析、ヴィジュアル分析という分類を示して、それぞれの分析法の「模範例」として数多くの研究例を紹介しています。シンプルな分類と、ヴィヴィッドな研究例の例示が本書の最大の強みです。

書名:人間科学のためのナラティヴ研究法
著者:キャサリン・コーラー・リースマン
監訳:大久保功子・宮坂道夫
刊行年:2014年12月
出版社:クオリティケア
ページ数:393ページ
ISBN-10: 4904363442
ISBN-13: 978-4904363447


■ 入手可能なサイト等

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■ 本書の文献リスト

本書初版での印刷ミスにより、文献リストが欠落してしまいました。こちらからPDF版をダウンロードできます。


■ 本書について(監訳者あとがきより)

 本書は、Catherine Kohler Riessmanによる、Narrative Methods for the Human Sciencesの全訳である。著者リースマンについて、原書には生年も記されておらず、以下のような簡潔な記載があるのみである。- キャサリン・コーラー・リースマンはボストンカレッジ社会学部のリサーチ・プロフェッサーであり、ボストン大学の名誉教授および、英国のイースト・ロンドン大学ナラティヴ研究センターの客員上級研究員でもある。はじめはソーシャルワークを専門として、コロンビア大学で社会医科学・社会学の博士号を取得した。リースマンは、医療社会学とナラティヴ研究に関する四冊の著書、多数の論文および分担執筆した書籍を刊行している。

 リースマン自身が自らの人生について語った記事(*1)が、ごく最近出た「Qualitative Social Work」誌に掲載されている。いかにもナラティヴ研究の第一人者らしく、「私の身に起こったことの中に、一定の秩序と意味を見いだしたい。これこそが個人的ナラティヴの主要な機能なのだ」と述べながら、波乱に満ちた研究者人生を振り返っている。かいつまんで紹介しよう。

 彼女の人生は、「1940年代と50年代初頭の北カリフォルニア」で始まった。共和党を支持する家庭に育ち、修道院付属学校で教育を受けた。そこにいた修道女の一人が、米国南部の奴隷経済をテーマにスタンフォード大学で学位論文を書いており、人種の不平等や抵抗運動の話をリースマンに語って聞かせた。やがて両親が離婚し、高校時代はニューヨークの「エリートの私立女子校」で過ごした。折しもマッカーシズムの絶頂期であったが、リースマンたちは『共産党宣言』を論じあった。家でその話をすると、弁護士で判事を務めた経験もある母親は、躍起になって資本主義の弁護をしたという。

 50年代の半ば、大学はニューヨークのバード・カレッジを選んだが、そこは伝統的な考え方にとらわれない教授陣の「巣窟」であった。とりわけ、ハンナ・アレントの夫で詩人・哲学者のハインリッヒ・ブリューヒャーのセミナーに参加して、哲学に関心を持つようになる。社会学や心理学よりも文学に関心を抱き、「精読」の価値を知る。

 60年代後半、彼女はソーシャルワークの大学院に身を置き、精神保健分野の臨床現場を見ることになる。そこで、予期していた人生の行路が途絶されるという経験が、人々にもたらすインパクトというものに関心を抱く。

 70年代はコロンビア大学公衆衛生大学院で、社会学理論、社会研究法、社会階層化、疫学、生物統計学、保健政策を学び、精神疫学をテーマにした量的研究で学位論文を書いた。そこで性役割をテーマにしたサマーコースに参加し、「これが永久に私の思考を変革した」という。まさにフェミニズムが米国を席巻し、社会科学にも大きな影響を及ぼしつつある時代だった。リースマンは、次第にナラティヴ的な関心、すなわちライフイベントが個人や集団にとってどんな意味を持っているのかに関心を抱くようになる。しかし、当時のコロンビア大学には、本書で度々言及されている「物語的転回」の波は届いておらず、シカゴ学派社会学などの新しい波に直接触れることができなかった。

 80年代半ば、リースマンは40代半ばの年齢になり、3人の子どもを育て、ハーバード大学の精神医学科でポスドク研究員となった。そこで恩師エリオット・ミシュラーに学びながら、ついに本格的なナラティヴ研究の道を歩み出す。この時こそ、最良の頭脳とリースマンが呼ぶ人々、すなわちブルーナー、サービン、スペンス、ミシュラーなどの心理学者、マイヤーホフ、ラビノー、ブリッグスなどの人類学者が物語的転回に飛び込み、数々の優れた著作を生み出した時代であった。リースマン自身は、少し前に着手していた離婚の研究で、インタビューの最中に語られた「長いストーリー」が格好の題材となった。リースマン自身の研究は本書で詳しく紹介されており、それ以外の研究者の仕事のいくつかも、本書で触れられている。リースマンは離婚研究の成果をDivorce Talkという最初の書籍として1990年に刊行した。

 ナラティヴ研究そのものの起源がもっと古い時代に(本書でも論じられているように、アリストテレスにまで)たどれるとしても、それが一挙に花開いたのは、今からわずか30年ほど前のことであり、ナラティヴ研究がいかに若いものであるかが分かる。リースマン自身が研究者として脂の乗りきった時期に、その奔流の只中に身を置いたことで、百花繚乱のように咲き乱れるナラティヴ研究の全体像を、きわめて冷静に眺め続けることができた要因だったのではないかという気がする。リースマンは九三年と九四年に研究方法に関する著作を刊行した。これらは比較的短いものであったが、ナラティヴ研究を学ぼうとする人たちに好評を博し、2008年に本書を刊行した。

 次に、ナラティヴ分析の入門書としての本書の特色について触れておきたい。ただし、ナラティヴ分析あるいはナラティヴ研究そのものについては、本書の各章でわかりやすく論じられており、解説の必要もないであろうから、わが国の読者、とりわけ実際にナラティヴ分析を研究に採り入れたいと考えている人にとって、本書がもつすぐれた特色を述べておきたい。

 その第一は、ナラティヴ分析法を簡潔明瞭に系統分類している点にある。第1章で「ナラティヴ」という言葉の定義さえもが研究者によって異なっていることが述べられているが、ナラティヴ研究はその対象や方法がきわめて多様であるがゆえに、これまでの研究者は、これらを系統的に分類すること自体にほとんど取り組んでこなかった。これに対して、リースマンは、構造分析、テーマ分析、会話/パフォーマンス分析、ヴィジュアル分析という分類を提示する。本人が述べているように、これ以外にも分類の方法はあるのだろうが、リースマンの分類法は明確であり、なおかつナラティヴという概念のもつ幅広さや多様性を取り込んだものになっている。そのことは、それぞれの分析法の「模範例」として示されている実際の研究例を見ればよく理解されるであろう。

 第二の特色は、研究がもたらす知見というものの文脈依存性に気づかせてくれるという点である。第2章と第7章では、これを正面から取り上げているが、他の章においても、文脈依存性への配慮が徹底している。従来の研究報告では、語られたデータ(しばしば整えられたもの)が示される際に、それがどのような「ローカルな文脈」(研究者と研究参加者との相互作用)の中で生み出されたのかを示すことはほとんど行われてこなかった。しかし、リースマンは、自らが行った研究のデータを用いて、そのような舞台裏を読者に見せ、同じデータであっても、異なった方法(あるいは異なった視点(パースペクティヴ))によって分析した場合には、まったく異なった知見をもたらしうることを示している。

 第三の特色は、読者自身による発見を促す、英語でheuristicと表現される態度である。本書の各章には、それぞれの研究方法をわかりやすく示す実例が活き活きと紹介されている。いずれの研究例も非常に面白く、読み物として飽きさせないものになっている。しかし、それは単なるジャーナリスティックな面白さではなく、研究としての視点の新しさや方法論上のユニークさを含んでいる。リースマンの解説に導かれながら、読者は各々の研究例に埋め込まれている様々なヒントを発見していくことができる。研究を志す読者は、そうしたヒントを手がかりに、自らの研究課題に対して新しい方法を考案し試みてみようという気になるのではないか。

 「ナラティヴ」という概念は、最近ではわが国でも人文社会科学から医療分野に至る非常に幅広い領域で、大きな関心を寄せられ始めている。ナラティヴをテーマにした書籍や研究論文は多数刊行されている。ところが、質的研究法としてのナラティヴ分析について書かれたものはほとんど見当たらない。そのため、論文などで「ナラティヴ」を扱ったとしているものはあるが、ナラティヴ分析がどのようなもので、他の方法とどこがどう違うのかを明確に説明したものはきわめて少ない。本書の翻訳者は、全員が医療・看護分野の研究者でもあるが、医療という分野では、方法論が無規定であることが歓迎されない。これはナラティヴ分析に限らず、質的研究法全般に対して、医療分野での受け入れが悪いことの一つの理由になっている。例外的と言えるほどに質的研究法が受け入れられている看護学領域でも、例えばグラウンデッド・セオリー・アプローチのように、分析の方法がある程度規定されているものの方が今のところよく使われている。リースマンの提案する分類が受け入れられることで、そのような状況が少しでも改善されることを期待している。

 本書の翻訳を思いつき、リースマンに電子メールを出して快諾を得てから、実際の刊行までに五年もかかってしまった。リースマンの文章はさほど難解ではないと思われたが、実際に翻訳を進めてみると、哲学、心理学、社会学、人類学、文学、はたまた米国の現代社会史に至るまでの幅広い用語や概念が使われていて、訳出に苦慮した点も数多くあった。その間、辛抱強く待っていただいたクォリティケア社の鴻森和明さんには、感謝とお詫びを申し上げなければならない。本書の翻訳は、末尾に示す訳者たちが各章を訳出し、それを監訳者が手直しするという手順で進められた。徹底した点検を行ったつもりだが、なおも不十分な点が残っていることを危惧している。しかし、いつまでもこの価値ある本を筐底に納めておくことはできず、ナラティヴ研究に関心を持つ人たちの批判を仰ぐつもりで刊行した。


2014年9月 監訳者


*1 Riessman, C. (2014). Twists and turns: Narrating my career, Catherine Kohler 

 Riessman. Qualitative Social Work, 1473325014522285.